Nguyen Van Duc
Ba Ria Province Farmer

バリア・ブンタウ省のゆるやかな丘陵地帯に挟まれたグエン・ヴァン・ドゥック氏の農場。ここの土は赤く、空気は乾燥しています。ドゥック氏はゆっくりと立ち上がり、シャツを羽織って木のベンチとテーブルがあるところへ手招きします。緑の皮のオレンジとドライフラワーのお茶、マホガニー色のフルーツを彼がテーブルにせっせと用意している後ろで、彼の奥さんと孫がベッドに座って遊んでいます。自家製のカカオ酒(そばハチミツのように黒くて濃厚)の瓶がドンと置かれ、彼が自分で焙煎し、粉にしたカカオパウダーがプラスチックの箱に入って出されます。スパイシーで鮮やか、オレンジピールがふわっと香るような、マルゥの代表的なチョコレートのひとつを生み出す、よく手入れされたカカオの木が彼方に広がっています。

ご出身は?

ティエンジャン省で、きょうだいが8人います。父は米農家でした。知り合いはみんな米を栽培していて、近所の人たちから育て方を学びました。

最初のチョコレートの思い出は?

父がサイゴン港の港湾作業員になりまして。アメリカから船が来ると食べ物の箱を調べて、チョコレートを一枚ポケットに入れて持って帰ってきてくれました。市場では手に入らなかったんですよ。当時私が5歳ぐらいで、父がアメリカからミルクチョコレートを持って帰ってきていたのを覚えています。美味しかったですね。

バリア省にはどのようにして来られたんですか?

1968年に南軍に入り、7年ゴコンに駐在しました。パゴダに通って育ったので、お祝いの日などは野菜だけを食べていました。1975年に再統一を祝って完全にベジタリアンになることに決めて、それからはずっとベジタリアンです。

再教育の強制収容所に送られ13ヶ月間過ごしました。そこを出る際に、ティエンジャン省の新しい経済地域に送られるところでしたが、ハングリー精神を買われてあちこちで長期の護衛に就かされました。

それから中部高原で小さなコミュニティがあると聞いて、1983年にそこへ行って土地をきれいにし、5年間トウモロコシや豆を育てていました。作物は季節ものなので、なかなか良い暮らしはできませんでした。

兄とロンカインの収容所で一緒だったお坊さんが、とても美味しいコーヒーとサツマイモを私たちが今いるバリアで育てていたんです。妻と私は彼のところへ行って、カシューナッツやタピオカの農園だった土地1.8ヘクタールを買いました。そのお坊さんのアドバイスに従って、小さなコーヒーの木を植えたんです。当時3人の子供が学校へ通っていたので、とても大変でしたね。

カカオを育てるようになったのは?

1999年に、ノンラム大学がカカオ農家を育てる2年のプログラムを始めたんです。プログラムの主催者は土地や農園の適格性をきちんと診断してくれそうな方でした。カカオと他の作物を混作しようというものです。苗木は日陰でもよく育ちましたが、成長した時にできるのは質の悪い実でした。世話の仕方を知っている者がおらず、農家の多くはカカオの木を切り倒してしまっていました。

ほとんどの農家がそんな感じでしょう。挫けたらすぐにその作物は見限ってしまって、別のものにしてしまう。カカオはとても手が掛かるし根気もいる。本当に大変なんです。

平均で1ヘクタールあたり2.5トン生産することができますが、それはちゃんとやれていればです。コーヒーと比べれば良い方ですが、コショウや柑橘類(ブンタン、ザボン)よりずっと少ない。

カカオ栽培では、1年でだいたい100ベトナムドルの利益が出ます。コショウだったらその4倍になりますし、柑橘でその100倍稼いだ人もいますよ。

*ここで、孫を奥のベッドで寝かしつけていたドゥック氏の奥さんが言います。「私たちはもう年だから。今作物を変えるのは時間も労力もすごく要るし、どうなるか分からないでしょう」

それが理由で続けてらっしゃるんですか?新しい作物を始めるには遅すぎるから?

カカオは丸ごと使えるから好きです。頑張って出来たものですから特別です。何も無駄になるところがないんです。果汁からお酒が作れるし(と一杯注ぐ)、種からはチョコレートができて、殻は堆肥にできますしね。毎朝、自分で焙煎したココアパウダーを牛乳に混ぜて1日を始めるんです。最近はコーヒーもわざわざ淹れなくなったね。

私たちがカカオを始めたのは、農村開発部がサクセス・アライアンスという南ベトナムのカカオ農家の集まりを80から100ぐらい作ったプロジェクトに加わってからです。私も2つの集まりのリーダーをやることになりましたが、1つあたり40ほどの農家が参加していました。今は1つの集まりあたりで2、3軒なんじゃないでしょうか。

私たちだって初めはうまくいきませんでした。でも、うまくいくために必要な経験をしているんだとは思っていました。その後しばらく収穫は多くなかったですが、カカオの値段が上がり続けたんです。それで続けられるような感じがしました。

昔はゴムは「白い金貨」と呼ばれていましたが、今は価格の変動が激しくなっています。どこにも保証なんてないですね。もう私は年をとりましたし、いちからやり直す気力もお金もありませんしね。

しばらくの間、私はカーギル(食物を中心に扱うアメリカの企業)に国際市場価格でカカオを売っていました。するとある日、犬を連れた独身のジョン・F・ケネディみたいな人(ヴィンセント)と髭面の人(サミュエル)が来たんです。彼らは私のカカオにとても良い値段をつけてくれましたが、選別には厳しかったですね。なので、いい人たちだなという気持ちと厄介な人たちだなという気持ち、両方でしたね。

カカオ農家をやっていて一番大変なことは?

リスたちが厄介でね。実りの季節にはランブータンを盗みに来るだけなんですが、カカオの収穫期には周りに何もないので収穫の3割ほどを食べられてしまいます。罠を仕掛けたりもしたんですが、ずる賢くて。エアガンで追い払うしかないんです。息子たちはバッと打ちに出ますが、私はそんな風には動けないですよ。

(ドゥック氏のカカオで作ったチョコレートのサンプルを渡して)こんなにスパイシーな理由は何なんでしょう?

これはミルクチョコレートより全然美味しいね!土と農地の自然の酵母菌からくる風味じゃないかな。

酵母菌と土の何がこの味を生み出していると思いますか?

みんなビンディン省の米酒が好きでしょう。誰もがベトナムで一番美味しいと思ってる。でも同じ酵母菌と水、米を使って他の場所で作っても、同じ味にはならない。その土地のものなんですよ。

高齢で農業が難しくなったらどうされるんですか?

前にちょっとしんどくなった時に、末の息子が大学を辞めて助けてくれてね。そのまま農園の面倒をみてくれるつもりらしいです。まだ未熟だけどね。カカオ酒の作り方も病気になった木の面倒の見方も知らないですよ。でもきっと大丈夫でしょう。

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