Jason Laurent
Cacao Whisperer

ジェイソンは元グリーン・ベレー(アメリカ陸軍特殊部隊)の息子としてアメリカのカンザスシティで育ちました。カリナリー・インスティチュート・オブ・アメリカ ハイドパーク校にてペイストリーの学士を得て卒業後、メキシコで経験を積みます。

2013年の春、彼は荷物をまとめてホーチミンへ。到着するやいなや、彼はマルゥの臨時の焙煎士の職を得るために懸命に働き、まもなく工場全体の責任者になりました。受賞歴のあるマルゥのチョコレートを次のレベルに上げるチャンスに彼が飛びついたのは当然のこと。彼の献身と想像力がメゾンマルゥの礎を築きました。

最初のチョコレートの思い出は?

おばあちゃんのラムチョコレート・トルテです。料理学校で丸一日ケーキを焼いたり、薄くスライスしたりするまでその凄さを分かってなかったですね。祖母がどうやっていたのか今でも分かりません。祖母はアルプスの国境にあるオーストリアの小さな村の出身で、戦争中13年間をローマで過ごしました。

祖父とミズーリに移ってきたとき、彼女は40歳で英語もあまり話せなかったようです。祖母はものすごく「ドイツ人」でしたね。「please」や「thank you」を言えるようになる前に「danke」や「bitte」を教えられましたよ。そんな祖母の影響でキッチンに入ったんです。祖母と祖母の食べものでね。

チョコレートの仕事を始めたのは?

高校を卒業したその夏に、フランス語の先生がボンボンショコラしか作らないような、小さなチョコレートのお店を始めた菓子職人の下での仕事を紹介してくれたんです。Hershey’sのミルクチョコのようなイメージでお店に入ると、ボスから南米産のシングルオリジンのチョコレートをひとかけ渡されて。

少しずつ本物のダークチョコレートの味を学びました。働き始めて半年後に、母親がホイル紙に包まれたチョコレート、うさぎかたまごかクリスマスツリーだったかを買ってくれたんですが、そのまま歯で噛んでしまって吐き出してしまったのを今でも覚えています。

ベトナムにはどうして?

父が陸軍の特殊部隊で、よくベトナムに人道的活動をしに戻っていました。2011年の年末に一緒に来ないかと誘われたんです。ハノイから入って、ずっと下って行きました。サイゴンに到着して初めての朝、そこのエネルギーがすごく好きだと感じて。許されればずっといたでしょうね。でも戻って2年間、肉屋やパン屋で働きました。それから1000ドル貯金してホーチミンへ移ってきたんです。

マルゥのことはどうやって知ったんですか?

航空会社が僕の荷物をなくしちゃったんですよね。なので本当に何もなくなってしまって。計画もないし、知ってる人もいないし。ファングーラオ通りの公園に座って「何やってるんだ俺は」って思っていたのを覚えています。

2ヶ月後、マルゥに3枚手紙を書いて仕事をさせてもらえるように頼んだんです。彼らは休暇中の人たちの代わりとして少し働かせてくれました。

ある日ポジションが空いたんです。焙煎して、豆を割って、選別する仕事をするようになりました。工場の暑い場所で50キロの豆を運んでいました。カカオの匂いをさせながら家に帰るのがすごく好きでしたね。ちょっと変ですが。

何年もマルゥのチョコレートを作ってきた中で一番のお気に入りはどれですか?

今メゾンマルゥに置いてある10キロの焙煎機からスタートしたんですが、その頃は1ヶ月に1トンのチョコレートを作って、スタッフは4人で、まだ大きくなりそうでしたね。トゥドゥックにある工場を離れる頃にはスタッフが15人いて、1ヶ月に3.5トン作っていました。

なのでマルゥのチョコレートはたくさん食べてきています。お気に入りの1枚はありませんが、1束ならあります。1年半前バリア省のチョコレートを食べたとき、まさにオレンジのような味がしたんです。当時、オレンジピールと合わせる実験をしていて、工場にもオレンジがその辺に置いてあって誰かが混ぜ込んだんだと思いました。でもそうではなくて、そういうすごい風味をもったカカオの味だったんですよね。

刻々と変化するチョコレート、扱いが大変ではないですか?

最初の賞をもらった時、ヴィンセントが僕の背中を叩いて「やったな」って言ってくれたんです。変な感覚でした。焙煎士・選別士として自分は風味をただ「守っている」と思っていました。風味を生み出すのに僕ができることは何もなくて、あるとしても何かをやらかして、焦がしてしまうぐらいしかないように感じていたからです。苦味や酸味を抑えるのに砂糖を加えることはしますが、加え過ぎれば風味が埋もれてしまうだけですし。

メゾンマルゥはこれからどのようにベトナムの消費者に良質なチョコレートを届けていきますか?

スタッフの8割はマルゥやシングルオリジンのダークチョコレートのことを何も知らずに入ってきます。でも、開店前にケーキの試食をした時はみんな最後の一切れを取り合っていました。

彼らには、たとえバリスタであっても作り方や産地などチョコレートのことはなんでも答えられるように2週間の厳しいトレーニングを頑張ってもらっています。

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